shall we dance? | パギーの日記・飲み歩き紀行

shall we dance?

映画「Shall we dance?」を見てきました。一人で。ええ、一人で見てきましたとも。


もう日本版が好きで好きで。大好きだったのです。有名な映画とか、みんなみてるとか関係ない!!好きだ!役所さんみたいな大人になりたいと本気で思いました。

そしていま、改めて。リチャードギアみたいな大人になりたい!!!


しかしながら、ちょっとびっくりしたのは、このアメリカ版Shall we dance?、まっっっっったくといっていいほど日本版と同じ作りなのです。これは以外だった。


普通リメイクっていうと、ラストをかえるだとか、キャラクターをふやすだとか、なんかあるでしょーやっぱり。でもこれでもかってくらい同じ。だってかつらのエピソードとか、トイレの気絶したふりとか、だって玉子先生とか竹中直人の役だってまったく同じで、「社交ダンスの何が悪い!」と役所が会社で怒鳴るところだってそうだし、もう完全に「ニューヨークで同じことが起こっている」映画です。


だからこそここでラストを書いてしまっても、ほとんど問題ないかと思われる。だから書く。

ていうか、ばっちり泣きました。日本版と同じところで。同じような感動で。それくらい好きな映画です。


テレビコマーシャルでやってるけど、エスカレーターをタキシード姿のリチャード・ギアがバラを片手に上ってくるところ、実はこれ、奥さんに会いに行くところなのです。実はこのところだけ、少し日本版と違うところで、日本版では夜、自宅の庭で主人公は奥さんにステップを教え「悪かった」っていう、日本の家庭の中で起こりうるリアリティーが少しあった。これに対し、アメリカ版は日を改め、奥さんの働くデパートのショールームにバラを片手に赴き、少しサプライズ的に奥さんに「俺のパートナーはお前だ」と言ってしまうという見せ方になっています。

もちろんお別れダンスパーティーで「shall we dance?」というのはジェニファーロペスだから、全然話は変わってないのだけれど。


でもこれも、アメリカという舞台で同じ演出をしようとしたけっかともいえなくもないシーンなわけです。それを日本人の私たちがみると、あのニューヨークに舞台が移ったというだけで、なにかよりロマンティックに感じられることもあるかもしれない。


ちなみに僕が映画館で座った席の左隣には老夫婦がおりまして、しっかり泣いていた。見せ所では映画館全体からすすり泣く声が響いていたし、笑いどころではどよっとした声がこだました。良い意味で会場が一体になって感動を共有できる映画だし、そういう意味で日本版という土台があったから共有できたものだともいえる。


好きなひとはミーハー?よくある話?しょうがないっすよ、良い映画なんだもん。

でも、アメリカ版だけを先に見ると…好きになれるかな?いや、なれると思うけどなぁ・・・